倫理、社会的責任および審査
あなたはどのくらい正直ですか?氏が、倫理についてどのように考えるべきかを問うています。
古典的な審査アプローチが絶対的なものとして世界中で確立しています。規則や規格に「~すべきである」「~しなければならない」「適切な場合には」といったキーワードが使われていれば、それは調査や検証の対象となり、またこのキーワードによって、客観的なことばで表現された質問が量産されることになります。もちろん、「~しなければならない」と規定されている項目を審査するのは簡単です。このような項目は、審査員にとっては大好物で、見ればホッとする類のものです。満足でき、取り扱い易く、確実なものだからです。
しかし、我々の職務の中では記述されていない「~しなければならない」という表現の大部分については、どの程度確実であるといえるでしょうか?我々は、どの程度までクライアントと行動し、互いに影響しあうべきなのでしょうか?適切な行動とはどのようなものでしょうか?特に、クライアントが明らかに非倫理的な方法で操業している場合は?
ISO 19011やISO 17021を引用するような人々は、力量や専門性に関するセクションに行き着くでしょう。しかし、現実世界においてほとんどの審査員が経験することは、規格の内容や指針からは程遠く離れています。ISO 17021-2の最終原案には、「8.1 移動中のマナー」や「9.2 重大不適合か軽微な不適合かの判断」といった新規セクションが追加されてもよいくらいです。しかし、これが本当に実現するかは大変あやしいところです。
倫理
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倫理とは、都合の悪いときに第一に考慮されるものであると言われています。ほとんどの場合、受審側がそれを望んでいない場合は特に、真実を告げるのがためらわれる場合もあります。恐らく、あなたは少数民族の労働者が異常に過酷な労働を強いられ、高い生産性をあげていることに目を留めるでしょう。全体的な製品品質に影響がなければ、それ以上掘り下げて問題を調査しても意味が無い、という人々もいます。しかし、本当に倫理的なアプローチとはどのようなものなのでしょうか? |
倫理的相対主義は身近な問題でもあります。上記の例では、不利な条件におかれた人々に最も魅力のない仕事を与えるのが業界または国の標準的な慣行なのかもしれません。先進社会の倫理を、感性の区別が少しあいまいな他の文化にも適用しようとしているのではないですか?例として、ある品質マネジャーは大きな容器から製品を取り出して、それをコンベヤーに置くことだけが唯一の仕事として与えられている労働者グループを見て大変驚きました。彼が、機械を使えば最小限のコストで同じ仕事ができると説明すると、工場の責任者は労働者たちを指差し、次のように言いました。「わかっています。でも、そうしたら彼らは何をすれば良いのでしょうか?」と。
考えてみましょう
以下の話は、個人の経験から引用したもので、審査員の倫理としては、みな共通のものです。
- 作業環境を審査しているとき、明らかに危険な領域を発見しました。ホイストとクレーンを使って、巨大な工業用トランスミッションが解体されています。作業者は、油湿ったマットの上を歩かざるを得ない状況です。あなたの審査スケジュールでは、あと5分で次の領域に移動しなければならないことになっています。しかし、この解体現場の認識されていない重要性について説明するためには、かなりの時間が必要です。倫理的な審査員なら、スケジュールは放棄して、クライアントとプロセスのアウトプットについて協議するでしょう。あなたなら、ここで審査をストップしますか?それともクライアントの立場を考慮し、スケジュールもあなたの予感も何とかうまくやりくりできるような、簡単な「改善の機会」を記述しますか?
- あなたは、工場の製造現場を審査し始めたところですが、技術者が流行の男性雑誌から見開き写真を切り抜いて、作業場を飾っているのを見つけました。あなたなら、案内人に人事部に連れて行ってくれるよう頼み、スタッフから苦情が来ていないかどうか訪ねますか?または見なかったことにするのが得策だと考えますか?
- 休憩中、2人の作業者が喫煙所であなたに加わりました。彼らはあなたが審査員だということを知っていますが、先ほど上司との間で不愉快なことがあったばかりなので、怒りと憤慨の感情を抑えることができません。彼らの話には真実味がありました。実際、あなたは彼らの話をこの領域で間接的に示唆された問題として正式な記録に残したほうがよいかどうか迷っています。あなたなら、この場合どのような行動をとりますか?さらに掘り下げて話を聞きますか?
- 明日は最終会議が開かれる予定で、これまでのところ、審査は首尾よくいっています。あなたは疲れています。なぜなら、2週間休みなしの出張を要する一連の審査も、この審査が最後だからです。翌日、あなたは製造現場で明らかに管理されていない作業指示書を見つけました。通常なら、このような場合は軽微な不適合を挙げるところですが、そうすれば追加の報告書を書く必要が生じるし、続けてクライアントとのフォローアップを行わなければならないことになります。あなたならどうしますか?
社会的責任
審査基準となる規格は、我々の審査員としての慣行に関する洞察をも与えてくれます。我々がプロの審査員として、継続的に改善すること、効果的で客観的な行動の卓越性に関する証拠を見せることがクライアントの我々に対する根本的な期待です。行動規範では、我々が、自分が扱われたいような方法で他人を扱うことを求めています。そして、これには審査員が本質的に力のある立場にあり、その力は注意して行使しなければならないことも含まれています。
責任感のある人は、「感じる」、「考える」、「行動する」という3つのことを常に適切な順序で行うことの重要性を心得ています。この順序が崩れると、社会的な責任を欠いた行動を生むことにもなりかねません。我々は規格の番人であり、我々の責任は大抵の場合、受審側の人々よりも重いものです。すべての規格は、社会的責任のあるシステムへの窓であり、その後に残るものは、審査員が適切に感じ、考え、行動することに尽くすことなのです。
著者について
米国品質学会のシニアメンバーであるPaul Palmes氏は、米国ノースダコタ州、ファーゴにあるBusiness Standards Architectsの代表です。登録品質マネジャーおよび主任審査員であり、また同氏はISO/TC 176の米国諮問委員会の副議長兼メンバーシップ議長でもあります。また、ISO 10014の開発中には、米国の主任代表者および作業部会書記を務めました。
Palmes氏は、先日ISO/TC 176/SC3の米国代表に任ぜられました。同氏は国際認定フォーラムの国際ISO TC 176代表であり、ISO 9000審査グループの議長であり、また審査実施グループのメンバーでもあります。また、ANSI/ASQ National Accreditation Board (米国規格協会および米国認定機関:ANAB)の品質カウンシルのメンバーでもあります。Palmes氏へは、下記のEメールアドレスでご連絡ください。
pcpalmes@cableone.net
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