リーダーシップは本当に監査できるのか?

ISO 9001の箇条5は、リーダーシップを評価するための基準を定めています。しかし、リーダーシップは本当にこれに照らして評価できるでしょうか。IRCAの主任監査員であるクリス・アキレア (Chris Achillea CQP、FCQI) 氏が、『Quality World』誌2026年夏号の特集記事でこの問いを考察しています。
監査員がリーダーシップを監査すると言うとき、監査員は具体的に何に注目すると思いますか。
あなたが監査員で、計画の一部としてリーダーシップを監査する場合、「リーダーシップの基準」を満たすために何を評価しようとしますか。
本当にリーダーシップを監査できるのでしょうか。それとも、リーダーシップの「兆候」を監査し、適合としてチェックを入れているだけなのでしょうか。
当然ながら、ほとんどの (あるいはすべての) 監査員にとって最初の参照先はISO 9001の箇条5でしょう。規格では、監査において適合と判断するために満たすべき要求事項が明確に示されています。私の考えでは、問題は、規格が何を述べているかではなく、監査を通じてリーダーシップをどのように評価しするか、つまり、単にいくつかの文書や見慣れた指標によって証明されるのではなく、真に有効であるとどのように結論づけるのかという点です。
監査の落とし穴
何百件もの監査を受け、さらに何百件もの監査を実施してきた中で、監査においてリーダーシップが文書の存在によって矮小化され、あえて言えば、取るに足らないものにされている場面をしばしば目にしてきました。例えば:
- 署名済みの品質方針がある
- 品質目標が設定されている
- マネジメントレビューの議事録があり、リーダーが出席している
- 複数のリーダーが監査の初回会議と最終会議に出席している
これらは間違いなく重要な指標であり、リーダーシップによるコミットメントの最初の兆候を示すものです。しかし、問題はこれらの項目が重要かどうか、あるいはどれほど重要かではなく、それらだけで実際に十分なのかどうかということです。私が見てきた監査では、これらの項目だけで、箇条5が満たされいる、品質マネジメントシステムに対するリーダーシップが有効であると結論づけるのに十分とされていました。
しかし、私の経験はこれとは異なる現実を示しています。上で挙げた4つの証拠をさらに詳しく調べると、次のようなことが分かるかもしれません。
- 品質方針は品質マネジャーが作成し、DocuSignを通じてシニアリーダーに送付して署名を受けていた
- 品質目標は、組織の戦略的方向性によって定められた主要業績評価指標である
- リーダーたちはマネジメントレビュー会議に出席していたが、実際には心ここにあらずで、評価に関与することなくメールを書いていたり、事前配布資料にも目を通していなかったりした
- リーダーたちは監査の初回会議と最終会議に参加したものの、関心も対話もなく、単に「存在を示す」ためのパフォーマンスにすぎなかった
こうしたより深い文脈を考慮するとき、私たちは自問しなければなりません。リーダーシップは本当に監査されたのでしょうか。それとも、その有効性を評価したのではなく、単にいくつかの文書化した情報が存在することを確認しただけなのでしょうか。
私の経験では、この落とし穴は新しいものではなく、時折行われる監査だけに限ったことでもありません。私はこれまで (そして現在もなお) 次のような点をレビューしているのを目にしてきました。
- 行動ではなく文書を
- 影響力ではなく存在を
- 意思決定ではなく声明を
- 一貫性ではなく意図を
- リーダーシップではなく肩書きを
おそらく、これに対しては、監査はサンプルに基づくものであり、リーダーシップは常に目に見えるものではない、という反論があり得るでしょう。それは事実です。また、監査員は必ずしもリーダーシップの仕組みについて訓練を受けているわけではありません。それでも、監査員や品質の専門家である私たちが、組織の良心であるという評判に応えるために探究しなければならない、より深層にある指標が存在するという事実は変わりません。
リーダーシップは人々によって体験される
私たちの職業において、基準を定義し維持することは極めて重要です。私たちはこれらの基準を、一貫性を確保し、顧客に保証を提供し、組織にとって何が許容され、何が許容されないかの先例を確立する手段として用いています。これらの基準を作成するのは人であり、プロセスを管理、実行するのも人であり、私たちがサービスを提供する顧客もまた人です。この非常に一般的で顕著なつながりに加えて、リーダーシップを発揮するのは人であり、人々はその発揮されたリーダーシップを体験するということも、私たちは忘れてはなりません。
人々がリーダーシップについて体験することには、当然ながら主観が伴います。プロセスにおける単一の逸脱はマネジメントシステムのシステム全体の不備を意味しないのと同様に、この単独の主観はリーダーシップの全体像を示すものではありません。
しかし、それは人々の体験を軽視すべきだという意味ではありません。むしろその逆です。リーダーシップを適切に理解し、監査したいのであれば、それが組織全体でどのように体験されているかを理解し、その体験を総合的に評価する必要があります。そこで初めて、リーダーシップの有効性について、はるかに意味のある全体像が見え始めます。
リーダーシップが人々によって体験されるものであるなら、監査員の役割の一つは、その体験がマネジメントシステム全体でどのようなものかを理解することです。具体的には:
- 人々は安心して問題を提起できると感じて いるか?
- 既知の問題に対して対応が取られているか、それとも見過ごされているか?
- リーダーは、不都合な報告に対しても関心を持ち続けているか?
- 業務上または商業上の圧力が高まった場合でも、品質は守られているか?
こうした疑問こそが、個別の文書化した情報をレビューする段階から、リーダーシップが組織に実際に及ぼす影響を監査する段階へと私たちを向かわせるきっかけとなるものです。
次の課題は、監査員がこれらの項目を信頼性、公平性、客観性をもってどのように評価できるかということです。特に、人々にとって感情的になりやすい話題となると、誰も自分のリーダーシップを評価してもらいたくないのは明らかです。これは本来、業績評価の際に直属の上司と2人きりの場で話し合われるような事柄です。しかし、監査は常に心地よいものとは限りません。リーダーシップを効果的に監査したいのであれば、率いられている人々がそのリーダーシップをどのように感じ、体験しているかを理解する必要があります。
客観性を失わずにリーダーシップを評価する
ここでタイトルの問いに戻りましょう。私たちは本当にリーダーシップを監査できるのでしょうか?私の考えは、できます……ただし、現在のやり方ではできません。
品質や監査の専門職は進化しており、私たちは組織のパートナーとなる方向へと移行しつつあります[bit.ly/3QUhe5o]。この進化に伴い、サンプルが基準に適合しているかどうかを評価する方法も、これまで常に行われてきたやり方をそのまま受け入れるのではなく、適応させていく必要があります。リーダーシップの監査はその大きな部分を占めますが、文書化されておらず、客観的でもない証拠をどのように評価するかという点において、バランスを取りながら、自らの信頼性を維持していく必要があります。
そのためには、求める証拠を次のように捉え直さなければなりません。
- 文書化されていること
- 観察したこと
- 人々が体験していること
私たちは、記事の前半で言及した文書化した証拠、すなわち署名済みの品質方針、マネジメントレビュー会議への出席などを保持しています。しかし、そこに監査員として私たちが観察することや、組織内の人々が体験していることも追加されています。
最大の問題は、「でも、どうやって?」ということです。出発点として重要な原則は、単一のサンプルがシステム全体を反映するものではないことを理解することです。同様に、たった一度の会話だけでリーダーシップの影響力を測ることはできません。評価には、一貫性、テーマ、パターンを評価できる複数のサンプルを含める必要があります。
例えば、問題が提起されたにもかかわらず、その後何の対応されていないケースはありますか。責任の所在が不明確なまま、問題が繰り返されていますか。人々は懸念を提起したりエスカレーションしたりすることにためらいを感じていたり、または消極的になったりしていますか。これらの点を、人々が一致して、具体例を挙げて言及すれば、リーダーシップが組織の運営面にどのように反映されているか、全体像が見えてくるかもしれ
ません。あるいは、人々との対話を通じて、リーダーが目に見える存在であり、積極的に関与し、提起された取組みを確実に実行していることがわかるかもしれません。
また、リーダーシップがどのように受け止められているかを理解することもできます。具体的に、人々はリーダーシップをどのように表現していますか。そうした見解には一貫性がありますか。監査での観察を通じて、それらの認識の妥当性を確認できますか。
個人に対してこれらの質問を単独で行うだけでは、リーダーシップの評価を行うことはできませんが、文書化した情報、監査員として行った観察、さらに人々から得た体験談を組み合わせることで、リーダーシップを構成する側面の全体像を形成することができます。
繰り返しますが、これは新しい監査の概念ではありません。私たちはすでに、文書化したプロセスを確認し、それが意図したとおりに実務で実施されているかどうかを評価しています。私たちは、単にプロセスを見て、それが文書化されていることを確認しただけで、それで十分だと判断するわけではありません。私たちがリーダーシップを監査する方法についても、同じことが当てはまるはずです。
注意すべき点
リーダーシップについて話し合うには、ある種のスキルが必要です。いきなり始めてすぐに結果を得られるようなものではありません。そんなことをすれば、個人を人格的に評価していると受け取られるおそれがあり、被監査者やリーダーシップの関与しようという意欲を損なう可能性があります。
私たちが明らかにしようとしているのは、リーダーシップがマネジメントシステムの中でどのように機能しているか、そしてそれが成果、行動、意思決定、文化にどのような影響を及ぼしているかです。
誰かについて質問することは、個人的で立ち入ったことのように思われる場合があります。また、リーダーシップは異なる方法で監査できる (また、そうすべきである) という考えを私は強く支持しますが、そのためには慎重に進め、外交的な配慮をもって監査方法を進化させていかなければなりません。
では、リーダーシップを本当に監査できるのでしょうか。私の答えは「はい」です。ただし、これまで確認してきた馴染みのある文書類にとらわれず、より広い視野で物事に目を向ける覚悟がある場合に限ります。品質方針が署名されているか、またマネジメントレビュー会議に出席したかだけを見るのであれば、リーダーシップの表面をなぞり続けるだけで、最も重要な対象である「人」という部分に深く踏み込むことはできません。
リーダーシップに対する監査の価値が、適合性の確認から、実際に何が機能していて何が機能していないのかを率直に把握することへと発展する可能性があるのは、まさにこの点においてです。











