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機械には認識できないもの

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機械には認識できないもの

人工知能はすでに、品質マネジメントの従来業務の多くを担っており、しかも私たちよりもうまくそれをこなしています。全2回のうち第1回となる本稿で、イアン・スタンベリ (Ian Stanbury CQP FCQI) 氏は、機械の役割がどこで終わり、その境界線がなぜそこに引かれるのかを問いかけます。

1年分の監査記録、インシデント報告書、プロセスデータを与えられた人工知能 (AI) システムを思い浮かべてみてください。ほんの数秒で、AIシステムはあらゆる不適合を抽出し、繰り返し発生するものを分類し、頻度と重大性によって順位づけし、それらを規格の関連箇条と照合し、私たちの多くが1週間かけても及ばないほど、一貫性があり、かつ完全性の高い報告書の草案を作成するでしょう。AIシステムは疲れることがなく、疲労によってパターンを見落とすこともなく、不調な日もありません。

もし品質マネジメントがそういうものなのだとしたら、私たちは危機感を抱くべきです。

個人的には、品質マネジメントとはそういうものではないと私は考えています。しかし、非常に多くの組織、そして少なからぬ品質専門家が、そういうものだと思っているのではないかと私は疑っています。そして、その信念はいま試されています。それが試されているのは、私たちの仕事のうち、これに最もよく似ている部分、つまり確認し、数え、照合することが、いまやAIが非常に得意としているところだからです。もしこの品質という職業をその仕事内容によって自ら定義するなら、その多くは自動化可能です。私たちは後回しにせず、今すぐ、その起こり得る不吉な結果に向き合うべきです。

ですから、品質専門家が今問うべき最も役立つ問いは、「私の仕事はAIに奪われるのか?」ではありません。それよりも鋭く、かつ答えを出しやすい問いは、「私の仕事のどの部分は機械にできて、どの部分はできないのか。そして、その境界線はなぜそこに引かれるのか。」です。これを正しく見極めれば、自分がどこに立つべきかが正確に見えてくるはずです。

AIはパターンを明らかにし、人間は意味を明らかにする

ここに、私が見つけた中でもこれ以上ないほど明確にその境界線を示す一文があります、「AIはパターンを明らかにし、人間は意味を明らかにする」。

パターンとは、データの中にある規則性のことです。たとえば、欠陥の集中、測定値の変動、2つの変数の相関などが挙げられます。大量の証拠の中からパターンを見つけ出すことは、まさに機械学習が得意とするところであり、見事にこなします。しかし、意味はそれとはまったく別物です。意味とは、あるパターンは何を示しているのか、すなわち、それが重要かどうか、何を暗示しているのか、それに対して何をすべきか、そしてそのパターンを生み出したシステムの健全性について何を明らかにしているのかということです。意味はデータ自体にあるのではなく、人間がデータにもたらすものです。「AIはまさにこの点においてますます進歩している」とあなたは言うかもしれません。進歩のたびに、機械は記録された過去をどのように扱うかをより洗練させるかもしれません。しかし、「意味づけ meaning-making」は、その記録が尽きたところから始まるのです。

なぜその線引きはそれほど確固としているのでしょうか。その答えを探るために、私は意外な人物を引き合いに出します。ロバート・パーシグです。パーシグはその画期的著作『禅とオートバイ修理技術』、そしてその続編『ライラ: 道徳の探求』の中で、「クオリティ」とは本質的に、それを記述するあらゆる言葉に先立つ知覚体験であると主張しました。

パーシグは、彼がダイナミック・クオリティ (動的質) と呼んだもの、すなわちこれは正しいという、その瞬間の直接的な知覚と、スタティック・クオリティ (静的質)、すなわち私たちが知覚したものを捉え共有するために後から築き上げるパターン、ルール、記録を区別しました。この区別は、機械にできることとできないことの境界と一致しています。スタティック・クオリティはパターンであり、符号化、保存、確認が可能で、いまや自動化もできます。ダイナミック・クオリティは意味であり、それは言語化される前に知覚されるもので、すでに言語化されたものだけを扱うAIシステムではそこに到達できません。

より高性能なモデルでも、その静的な側面をより精緻に処理するにすぎず、この一線を越えることはありません。誰かがそれをデータとして記録する前に、ある状況が何を意味するかを知覚することは、その作業の難易度が上がっただけというわけではありません。それは別物であり、前者をスケールアップしても、後者を生み出せてはいません。これは次世代モデルの登場を待てば解決するような一時的な限界ではなく、両者の本質的な性質を示すものです。追跡は自動化できますが、知覚して意味づけることは自動化できません。

静的な層: 機械が卓越する領域

品質業務のどれほど多くが静的な側面に位置しているのかについては、惜しみなく具体的に説明する価値があります。というのも、その割合は非常に大きいからです。

適合性確認は、あるアウトプットが定められた基準を満たしているかを問うものであり、パターン照合です。そしてAIは、それをどの人間の監査員よりも速く、より一貫して、より大規模に実行するでしょう。逸脱や異常の検出、つまり、ずれた測定値や適合しない処理にフラグを立てることは、機械の得意分野です。また、散在する情報源から証拠を集約し、何千もの記録にまたがる傾向を追跡し、人間なら探す時間のない相関関係を浮かび上がらせ、それらすべてを記録する文書を作成することも同じく得意です。第一線での検査、監査における日常的な確認の多くと、マネジメント情報の報告の多くは、静的な作業です。これらほとんどすべて、原理的には自動化可能です。

私たちはこれを嘆いたり、ないもののように振る舞ったりすべきではありません。品質への適合性を疲れることなく一貫して確認する機械は、まさに品質にとっての贈り物です。機械は、人間が不完全に、しかもしばしば不満を抱きながら行う必要不可欠な作業を担い、人間が注意をより高次のものへと向ける余地を生み出します。危険なのは、AIが静的な作業を行うことではありません。危険なのは、私たちが静的な作業を自らのアイデンティティにしてしまうことです。

監査員の本当の仕事

この区別がこれほど重大な意味を持ち、また異議が唱えらる可能性が高い分野は、監査をおいてほかにありません。ここで一旦立ち止まって考える価値があります。というのも、多くの読者が私の主張で最も検証したいところだろうと思うのが、まさにこの点だからです。

そう、適合性確認の機械的な核心部分、すなわち記録を基準に照合することは静的な作業であり、機械はそれを私たちよりも速く、しかもより一貫して行うことができます。しかし、だからといって監査が完全に自動化可能だと結論づけるのは重大な誤りです。確認作業は監査員の仕事のごく一部にすぎず、最も重要な部分は徹頭徹尾、動的なものです。

監査プログラムがどのように計画されるかを考えてみましょう。どこに注目し、どこまで深く、どのくらいの頻度で見るかを決めるのはリスクに基づく判断行為です。パターン照合できるようなデータが存在する前に形づくられる、リスクが実際にどこに潜んでいるかという認識です。

物理的な監査そのものについても考えてみましょう。現場を歩き、5Sや整理整頓が監査のために整えられていることを感じ取り、単なる指標では決して捉えられなかった事柄に気づき、チェックリストでは想定されていなかった直感に従って廊下の先へと進んでいくといったことです。そして、最も人間らしさが表れる瞬間についても考えてみましょう。被監査者が完全には率直でないと察知する瞬間です。ためらい、練習したような答え、少し整いすぎた形で出てくる証拠、そしてそっと話題をそらす様子などです。率直であるのか、そうでないのかを読み取ることは、最も削ぎ落した形の「意味づけ meaning-making」です。どんな機械も、相手が何かを言わないでおこうと決めているのを察知することはできません。

監査は、したがって、人間にしかできないことがあるという主張を揺るがすものではなく、むしろその最も明快な実例の1つなのです。照合、サンプリングの計算、証拠の追跡などの静的な業務を機械にを担わせれば、監査員は、人間にしかできない仕事、すなわち判断に基づき計画を立て、現場で状況を見極め、話の辻褄がどこか合わない点を察知する仕事に専念できるようになります。それは役割が縮小したということではありません。それこそが監査員の本来の役割であり、あまりにもしばしば本来の仕事を追いやってきた事務的作業の重荷から、ようやく解放されたのです。

機械的な作業は、監査業務だけでなく、それ以外の分野においても、徐々に減っていっています。それは、最初に思ったような脅威ではありません。ただし、脅威でないと言えるのは、チェック作業が機械に引き渡されたあとに何が残るのかを、私たちが明確に理解している場合のみです。

この記事の第2部では、機械には決して到達できない領域の仕事、そして品質の専門職が今注力すべき分野を考察します。

CQI レポート The Future of Work 未来の働き方
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