日本の品質は本当に地に堕ちたのか: 岩本威生氏に聞く (パート2)
ISO/CASCO (適合性評価委員会) 国内委員会委員、JISC適合性評価部会の専門委員会委員などを歴任されるとともに、日本のマネジメントシステム適合性評価制度の確立、並びに普及、啓発活動に実地で取り組んでこられた日本化学キューエイ株式会社の岩本威生氏に、一連の品質不祥事の報道を受けて喧伝される日本の品質の劣化という言説について、また、これからの審査/監査のあり方についてなど、その幅広い知識、経験に基づくお話を縦横無尽に語っていただきました。
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経営者は何をするのか
竹内: さて、先程来のお話のように、たとえ今は日本の中では本音と建て前で通っても、これからは日本の中だけではどうしても、通っていかないから、そうするときにやはり日本は外の世界に対して武装をしないといけないと思うのですが。
岩本: そう。それをやはり、特に経営者には考えておいてもらわないと困るのですね。
これはもう10年ぐらい前の話ですが、ISO 9000の関係の検討をどこかの委員会でやっているときにいらっしゃった外国企業の日本法人の方に私、日本の経営者は品質についての説明があまり上手ではないと思うのですが、そういう経験はありませんかと聞いたのです。
そうしたら、いや、そう言われればそういう経験がありますとおっしゃる。その方が実際の業務をやっていたころに、日本である部品に目を付けて、技術的な評価もやって、よさそうだということで本国のアメリカに話をして、社長に訪問してもらったのだけれども、日本のその部品メーカーの社長はよくいらっしゃいましたと挨拶した上で、製品の品質については私、あまり詳しくないのでこっちに話をさせますと、すっと話を振り向けてしまった。本国の社長としては、その社長の自分の思いとか、品質に対する会社としての約束、コミットメントみたいなものを聞きたいと思ってわざわざ来たのに、それを聞くことができなくて、結果、その案件はそれで没になってしまった。そういう経験があるということをおっしゃったんですね。
日本人は家を出るとき、自分の奥さんに、いってくるよとか言う人はまだましで、何も言わないで出てくる。向こうはそんなことで出て行ったら家に入れてもらえないと。I love you と言って、家を出て、帰ってきたらまたI love you と言って家に入っていくと。そういう文化の違いがやはり大きいのですね。これからは日本もグローバルな商売をやろうと思えば、あるいはグローバルに商売やらなければ日本は生きていけないのだから、いやでもそうならならざるを得ない。ISO 9001はそのためのものだと思うんですけどね。
だから、その辺も含めて、日本の品質管理をやっている人たちがこの問題は自分たち中間管理層の問題だというのではなくて会社全体として、会社の中のトップまで考えて、明日の会社を運営するための1つの材料にしなければいけないのだというような形になればいいのだけれどなと思うのですが、なかなかそれがないですね。
竹内: かえって日本というのは現場の責任感が強いというところが、このような場合は何か仇になっているのではないかという感じがしますが。
岩本: いや、そう。だから、上の人は自分が直接出ていく必要がないし、自分が出て行けば現場に対して失礼だと、自分が引いてしまう。それがまた、現場を知らないことの言い訳にも使われている。そういうことですね。
竹内: でも、結局それがそういう本音と建前の数値だったり、実態にそぐわない契約だったりということを引き起こしているわけですよね。現場がそこまで丸投げされてしまっても、そこまでの対応は自分たちではできないわけですからね。
岩本: それでも、今までは現場に丸投げしてもできるだけの人がいたのですよね。ところが、今、現場がどんどん、どんどん変わってきているのです。実際に、必死になって、手を動かしてつくってきた人たち、熟練の人たちがどんどん辞めていく。それで、入ってきた人はすでに自動化されたものでコンピュータゲームみたいに動かすことでモノが出てくるというように思っているわけですね。そこの差が大きい。それから、今、外国人がどんどん入ってきていますし、労働の流動化がだんだん進んでいるのです。そうすると、言わなくたって見ればわかるのだから、勉強しておけという、そういう日本的なやり方が通用しなくなってきているのですよね。
それで、外国人はレベルが低いかというと、きちっとした管理をすれば日本人よりもいい仕事をやってくれるのです。そういう人たちをうまく使うやり方に慣れていかないと、日本はやっていけない。もう現実に時代が変わってきているのです。
私も歳ですから、何かそういうことに役立てればいいなと思って、今までやってきましたけれども、どうも何かもうひとつ、変わっていっていないなと思う。そのもどかしさはありますね。
データの信頼性
竹内: 今、おっしゃったように日本国内でもいろいろ事情が変わってきているとなると、データの信頼性は今まで以上に重要になってきていると思うのですが。
岩本: 信頼性というものも、お互いわかるじゃないかという阿吽の呼吸ではなくて、それについてのアカウンタビリティの問題ですね。アカウンタビリティということについて、9001は口をすっぱく言っていると思うのですけれども、どうもアカウンタビリティというのは、問題が起こったら社長が出て行って謝る。社長がそれだけの責任を負っていますということを言っておけばいいのだと思っている人が多いですね。そんなのはアカウンタビリティではないと思う。それはことが起こったときのレスポンシビリティであって、アカウンタビリティは先にあって、まだわからない将来に対して、こうやったらそれが実現できるのです、それを一所懸命やっていますからという、それが説明責任ではないですか。
竹内: そうですね。先ほどおっしゃられた例では日本の社長がそのアカウンタビリティを理解できず、何も言えなかったということですよね。
岩本: それで採用してもらえなかったとなると、事業損失になっているのですね。そういう状況がどんどん増えてくると思いますよ。
あと、データの信頼性ということで言うと、私は石油化学の会社に勤めていましたが、石油化学というのは全体が自動計装で意味づけされているので、あまり作業員がオペレーションを勝手にできないのですね。ちゃんと標準操作手順書がある。でも、その中でも、人によって、経験で、ここの温度がこうなったら、これをこう変えたほうがいい、いや、俺はこっちで変えるということがあったので、操作が絶えず変動していたのです。それがデジタルのコントロールに変わり、ほとんどがロジックシークエンスで自動的にやるようになると、ちょっと変えるというようなことがなくなるのですね。それで現場は異常がないかというパネルを見ているのが中心の作業になり、プラントの条件はシフトによる変動はほとんどなくなってくるのですよ。技術者があらかじめ決めたロジックシークエンスで動いていますから。
竹内: 今後、いろいろな産業でそういう自動化というのはきっと進んで行きますね。
岩本: 行かなきゃいけないですから。今、ロボット化とか、AI化とかいろんなことを言っていますね。ということは、個人のやり方が入ってこないやり方になっていきます。ロボットの操作を教える技術者がいる。AIから考えて、それを操作に組み入れるロジックを組み立てる技術者がいる。それも、共通の人間がやりますね。シフトによって職員がいっぱいいて、人の力でやっているのではなくて、省力化ができて人件費が下がるわけですが、結果として人が変わることによるばらつきがなくなるわけです。
私はそういうことで人間が操作するコントロールから電子技術を使ったコントロールに代わることによって何が起こるか、実際に見てきましたからね。やはりそういう共通化のためのロジックをきちっと組む力のあるところが生き残っていくのだなと思っています。それは作業をする人にとって楽しい世界かどうかはわかりませんけれども (笑い)。自分の手で動かすのではなく、パネルをじっと見ているだけだったら、おもしろくないということになるかもしれません。
今、製造業でも、自動化が進んでいます。それの最先端が半導体ですね。これもロボットですから。人間はあんな小さいの、作業できないのですよ。それが一般的にどんどん広がってくる。
岩本: 起こりにくくなると思います。人に依存するところが少なくなるから。経営者にとって言えるのは、品質にとって熟練の作業者を選ぶことではなくて、そういう計画を組んでいく技術者を選んでいくことになりますから。
第三者審査ができること
竹内: ところで、データ改ざんやねつ造といった問題を起こした企業が、ISO の認証を受けていることが問題視されていました。一方で、第三者審査でそのような改ざんやねつ造は見つかるものではない、そもそもそういうものを見つけるのは審査の目的ではないという話もあります。第三者審査機関は何か対策をとり得るのでしょうか。
岩本: そうですね。直接的な話ではありませんが、実は、今、私、ISO 19011 をもう1回、勉強し直そうとしています。特に、今度の2018年版、翻訳JISは2019年版ですが。
なぜかというと、19011はもともと内部監査のためのものですが、今度の改訂版はもう1回、第三者審査に対しても有効なのだと、参考にしてほしいんだと言っている。それは何かといったら、リスクを考えないといかん、一般的なリスクではなくて、この組織に、この会社に審査で行くときのリスクは何か。この会社のリスクは何だと、常にそこを考えなければいけない。そうすると、そこの会社は何だということになる。中身を十分に知らないのだから、これだという決定的なものまで正確に理解できるわけないのだけれど、この会社はどんな会社だということをある程度想定できなければいけない。想定して行ってみて、あっ、想定とちょっと違ったなと思うのだったら、そこですっと質問の構成を切り替えながら審査をしていって、その会社らしいものの考え方の中で実際のところを評価するということをやらなければならないと思う。そういうことが今度の19011の改訂の中でかなり明確になったと私は思っています。これは、今まで19011がほとんど取り上げていなかったことです。一般論の中で言っていましたが、個別のところでわかるようなことを言っていなかった。
だから、そういうことで19011を今年度の1年間のテーマにして、勉強しようではないか、審査の構造改革をやろうじゃないかと言っているのです。
竹内: なるほど、それはやはり企業にとってもプラスになることですね、とても。
岩本: ですよ。規格があるから規格のこのとおりにやりなさいということではなくて、目的に合わせて仕事がつくられているかということ。そういう意味で、上から審査をするのではなくて、下を見ることによってマネジメントシステムの適合性を見る。マネジメントシステムの適合性というのは結果論だと、そんなことで結論付ける報告書をつくれるような研究をやってみたいと思っているのですけれどもね。
例えば、こういう不祥事があっても、それに関する元データが残っている。途中からデータは改ざんされているとしても、元データはひと月やふた月は残っているはずです。現場の人はみんなまじめですからね。
そこから加工された2次データ、3次データのところでおかしかったら、これはおかしいではないですかということが言える。もちろん、おかしなことがあったら、100%見つかるかと言ったら、時間の制約もあってそんなことは言えない。どこを見るかによって違いますから。でも、そういうことを見ていくのだというようにわかってもらう。そうすると、組織としては、あんな見方をされるのだったら怖いなということになって、自ら、そういうことをやらなくなる。やっていたとしてもやらなくなるということで、そういう予防効果みたいなものも生まれてくるかもしれない。そういうことで何か産業全体の役に立つ審査になればいいけどなと思っています。
内部監査ができること
竹内: なるほど。では、内部監査はどうでしょうか。
岩本: 私ね、今の内部監査って、あまり役に立っていないと思うんですね。
なんで役に立っていないかというと、内部監査をやれと言われているから内部監査をやっている。
私は仕事をやっていたときに、外注先の指導や監査もやったことがあるのですが、監査のいちばんのポイントはそこに何を頼んでいるかということです。別の事業部から、俺たち、外注先があるのだけれど、なかなかいい、ちゃんとした品質が確保できない悩みがあるんだ。いっぺん行ってくれないかと言われたことがある。そのときに、私は別の事業部だけど、頼まれたら行くよ。ただし、俺が行って帰ってきたら、必ずあなた方の仕事のやり方が悪いといくつか列挙するから、それを覚悟しておいてくれと言ったら、それはもちろんいいと言うので、行ったんです。そうしたら、やっているはずの外注管理ができていない。大体、向こうの検査データとあなた方の検査データ、頼んだ検査のデータと向こうの出してくるデータの整合性をあんた方、チェックしていないだろう、チェックしていないのに、何で向こうのデータを信用できるのだ、というような話から始まって、大分いろんなことを言いました。
竹内: でもそれは、岩本さんがなさったような監査をすれば有効な監査になるということではないですかね。
岩本: そうすると、それは何かというと、今のISO 9001の流行りの言葉でいう、リスクですよね。何か内部監査のリスクというと、組織にとって一般的なことで考えるのだけれども、そうではなくて、そこでやっている仕事のリスク。自分たちが想定するリスク、あるいは想像もしないことが起こってくるリスク、いろいろなことがあるだろうと。これを具体的に考えていかないといけない。だから、実態としてどうなのかということでチェックリストをつくっていかなきゃいけない。ところが、事務局がチェックリストをつくって、それでチェックさせたりしている。それはチェックマークを付けていくだけのことで、チェックでも何でもない。
それから、力量。未だに力量を知識と技能だと思っている。内部監査員は20人、ずらっと名前が書いてあって、順番に当てていきます。いや、それでできるものじゃない。今度は何の監査をやるんだ、どこに重点を置くんだ、それに適切なのはだれなんだということを考えていますか。別に内部監査員の固定的なリストをつくってもらわなくても結構、今度のテーマだったらあれに見させたいという人がいるでしょ。あるいは、それが自分で考えられなかったら、関連の職長に頼んで、推薦してもらう。それで推薦してくれたところの中から何人か選んでくる。そういうのがいちばんの力量の管理だと。そういうことをやらなかったら、本当の意味の内部監査って、できるわけがないと思うんですけどね。
ところが、研修機関も含めて、そんなことで内部監査のトレーニングをやっているところって、今、ほとんど見えないですね。今やられているようなトレーニングで内部監査が役に立つものになるわけがないじゃないですか。だから、そういう意味で19011は内部監査も、それから第三者審査も、もう1回、構造改革をやる非常にいい機会になると私は思っているんですね。
竹内: その意味では、日本でIRCA認定の内部監査員コースが実施されなければなりませんね。 ちなみに、CQI|IRCAの内部監査員トレーニングの認定基準では、内部監査は第三者審査と明確に区別し、組織自身の状況に基づく有効性に立脚し、さらにまさしくISO 19011の改訂が反映されています。私たちはこのようなトレーニングがもっと広がっていく必要があると思っています。
今、内部監査員のコースは何か第三者審査コースの縮小版みたいなものがやはり多いんでしょうか。
岩本: そうなのではないでしょうか。そんなことをやったって、何の役にも立たないと私は思いますけどもね。会社の中にいるのだったら、自分のところの製品、どんなものをつくっているかというのをいちばん知っているわけですからね。
でも、一方で、会社の中にいて、漫然と仕事をしていると、私の言っているマテリアル系において仕様は建前の仕様で本当の仕様ではないのだというようなロジックとか、そういうものをあまり実感していないですね。その中にいるから、かえって見えない。
だから、IRCAがセミナーを開くとすると、そういう井の中の蛙的なことが起こり得るようなリスクはどんなところで起こってくるかというような話をやると役に立つのではないですかね (笑い)。
竹内: 岩本さんにも何かそういうお話ってしていただけそうですね。
岩本: ははは、いや、もう老人が出ていく場面じゃないんじゃないですか (笑い)。
今回、岩本さんのお話を伺って、実態としては日本の製品品質は現場において「管理」されており、確かであることを今さらながら確認しました。しかし、その一方、おそらく説明責任を含む経営層のコミットメントが不十分なこと、また、製造と営業や開発部門など他プロセスとの連携が適切に行われていないことに起因して、製品品質を保証するためのデータの適正な取扱い、必要に応じた契約及び仕様などの見直し/ 確認が困難である状況が出来している、つまり経営層/管理層、また各プロセスの連携を通じた組織全体としての品質の「マネジメント」ができていないことが、一連の問題の元凶ではないかと思いました。
記事中には含めませんでしたが、岩本さんは「日本人は、トップダウンというのは、トップが全部決めて、下は鵜飼の鵜のように動いているだけだと考えてしまう。しかし、トップダウンというのは、トップがやって、その次の人がまたそれを展開し、それによって直接的にはコントロールしないけれども、間接的に下までコントロールし、その中で、下の自由度がどんどん生まれてくるということだと思うんですよね」とおっしゃっていました。このトップからボトムまで、あるいはボトムからトップまでの連携が今こそ求められているのではないでしょうか。
ISO 9001が、1987年版/1994年版では「品質システム」の規格であったのに対し、2000年版以降は、「品質マネジメントシステム」の規格へと変わり、プロセスを一連の繋がり、システムとしてマネジメントするプロセスアプローチが求められています。さらに、2015年版では、このプロセスアプローチが再度強調されるとともに、トップマネジメントはもちろんのこと、各階層におけるリーダーシップの重要性がハイライトされています。何を意図してプロセスアプローチという取組みが打ち出されたのか、リーダーシップとは何か、これらをどのように適用していくのかを、私たちは今一度、考えてみる必要があるのかもしれないと思うとともに、ISO 9001の奥深さをまた改めて感じたのでした。